何者にもなれないKekeの隠遁ライフ

文化、歴史、アート、ファッション。それを問うか問わないか。

『ル・コルビュジエ 絵画から建築へ―ピュリスムの時代』の感想

今となっては縹緲と記憶の断片しかないが、国立西洋美術館であったル・コルビュジエの展示の感想を、当時のメモをもとに、遑の許す限り感想を書き綴ろうと思う。

彼の試みが広く膾炙されるピュリズム中期までの作品は、手に収まりそうなコンパクトさと同時に、迸る多義的な空間を感じる。表層的にも鮮明な色使いがある故に立体感を感じた。ピュリズム後期、またはそれ以後の作品は、透明感ある重なり合いが絵画にも建築にも見られて、「調和」という言葉が似合いそう。キュビズム時代の、一見厳つい印象はなくなったように見え、第一次世界大戦後の落ち着きなのかと推測する。

愚昧でもなければエンジニアはモダニズムに惹かれると思う。機械的美学を社会生活に提示することの循環で、絶えず人間に還元し続けることが工学の一つと面白いところかなと思う。浅学菲才であるが、科学技術を肯定し、それらを社会実装するのが自分の一つの射幸心の形であって、また誇らしいのと思う故に、もっと求道者で無ければならない。最終的には資本主義で俯瞰的に昏い気持ちにもなる、本当は楽がしたい。

作品数も多く、また建物自体もル・コルビュジェの設計であり、インスタレーションとして展示内外が体験の連続性を持っている。豊富な近代美術の巨匠の絵画と彫刻が、モダニズム建築の先駆者ル・コルビュジェの建築と融合している機会は稀有であり、間違いなく瞠目に値した。雅俗混淆な起臥を今一度、見つめ直したい、そんな艶かしい想いにしてくれた。