何者にもなれないKekeの隠遁ライフ

文化、歴史、アート、ファッション。それを問うか問わないか。

朝活男の崩壊話

「ことばは沈黙に 、光は闇に 、生は死の中にこそあるものなれ 。飛翔せるタカの 、虚空にこそ輝ける如くに 」( アーシュラ・K・グウィン『ゲド戦記 影との戦い』中の『エアの創造』)

新たなスタートを切る人達の、奥底の不安や懶さを憫笑するように冷たく昏かった昨日までの雨は跡形は無い。 今日は凛とした朝だ。

「君は本当によく人を知ってるね」と僕は雨に言う。

今朝は6時前に目が覚めた。 夢は見てない気がする。瑞夢で無かろうと熟睡できることはきっと喜ばしいことなんだろうけど、少しだけ寂しい。昨日の寝るまでの自分と、今の自分に空白の時間が空いてしまって、その間の見知らぬ自分が訝しく感じる。至る所でしか連続性はないのだ。

歯磨きなどのルーティーンを済ませ、いつもの南北線に乗って職場を目指す。

今日の僕は完璧だ。全ての言動が頗る鷹揚である。

我が社会でいう「早寝、早起き」をした。朝ごはんだって職場に着いたら取るつもり。それもおしゃれな、スタバのサーモンうんちゃらなんちゃらサンドを。歯磨きも丁寧にこなしたし、リステリンで口内環境は快適の極み。ヒゲも剃って、爪を切った。電車内ではエンジニアのイケイケ本に読み耽ってる真っ最中だ。

一般的に世間が憧れる「朝活」の完璧なまでの実践だ。

「次は後楽園、後楽園。出口は右側です」というアナウンスで椎名林檎の『丸の内サディスティック』が思い浮かぶ。視界にマイクが落ちてたなら、走って、拾いあげて、「こうらくうぇ〜〜〜ん」と叫んでやりたいくらい気分はいい。ついでに「あたしをグレッチでぶって〜」も。

そんなわけで最寄駅に着くと職場まで少し遠いが10分程度歩く。 真夏の、灼熱の日差しの下で歩くことを想像すると容易に絶望できるのだが、これには目を瞑ることにしている。 まだ少し肌寒いこの季節は肌が緊張感を感じて、踵が弾む。

職場のビルは「今日もお前は無事に来れたか」と侃侃諤諤と言っているように高く聳え立ち、瀟洒である。それは言うまでもなく、その土地のアイデンティティである。そんな横柄な態度でもぐうの音も出ず、ただ跪座するしか許してくれないように感じる。

無愛想で機械的な警備員が我が子のように見張るゲートを通り抜け、エレベータに乗って、自席に着く。

よし、ロッカーからパソコンを取って今日も一日頑張ろう、と思った矢先、ロッカーの鍵を忘れたことに気づいた。そうだ、昨日から使えるようになったロッカーの鍵が、今のキーチャームに入らなかったから、アウターのポケットに突っ込んでたことを思い出した。

そうなるとパソコンが取り出せない。パソコンがなくては、エンジニアは仕事はできない。いや、これには語弊がある。語弊が生じないように言うと、パソコンがなくても、エンジニアではあり得る。しかし、一般的なエンジニアはパソコンで仕事をするのだ。

往復、約2時間。朝活のおかげもあって、就業時間には余裕で間に合う。来た道を帰って、帰ってきた道を来たらいい。単純な問題である。

ただ、そういう問題じゃない。今日の自分は完璧だった。朝活男であっただけじゃなく、今日を迎えるというエネルギー溢れ、生きることに熱狂してたじゃないか。出鼻を挫かれたと言うか、出る杭打たれたというか、そんな感じ。気に喰わない。

でも、冷静に考えると、自分らしい。 背伸びをし続けたらアキレス腱が切れるように、何かしら釣り合わないことをするとガタがくるものだ。

朝に弱かった自分が朝活なんて、馬鹿らしい。別に生きたいとか、何か成し遂げたいとか心底思ってないのに、迎える朝活の日を楽しみにしたりして。人間は自分の等身大なことしか結局はできないのに、何を自分に期待して舞い上がってしまったんだろう、厭わしい。

こうして朝活男は1日にして崩壊した。そして僕は僕になった。