何者にもなれないKekeの隠遁ライフ

文化、歴史、アート、ファッション。それを問うか問わないか。

友達を作れない新社会人

私が好きだったのはあそこのあかるさだ。とことん人工的なあのあかるさ、遠慮なく白く、こうこうとしたあかり。夜中でもたくさんひとがいて、みんな帰りたくないひとびとだということ。(江國香織『泣く大人』)

4月1日、初出社の日。

煦煦たる陽とは対照的に、私の心は嘯き、じんまりとしている。

この日本では、社会に出るという言葉は、一般的に、会社に入社するということを意味している。 「あぁ、今までは社会ではないの」という根本的な誤謬を突くような子供じみた真似は置いといて、とにかく会社に入った人のことを社会人と呼ぶらしい。つまり、私は社会人になった。

私にとって最初の苦節は友達作りの場であった。しかも、それは「OB・OG交流」、「チームビルディング」、「花見会」というように化けて何回もやってきた。私はこれまで「陽キャ」と言われるような陽の当たるような存在ではなく、常に陽の当たる人のそばにいた陰であった。逆光故に、誰も見向きもしない存在である。だからこの場のような、半ば強制的に「友達を作れ」というような機会は性に合わない。

そもそも友達ってどう作るの。

幼馴染や、旧知の仲など、ふといつの間にか友達はできていた。いつからその人を知っているのかさえも曖昧なときもある。大学も友達と呼べるような人はいなかった。いつも周りの人には「同じ大学の人」、「チームの人」、「研究室の同期」などラベルをつけていた。しかも、そのラベルには、共有する目的があった。例えば、大学であれば卒業をすることや、研究室だと研究成果を上げること。そういう人たちは何回考え直しても「友達」とは呼べないし、失礼と十分に承知しているがそう呼びたくもない。

自分から友達と呼ぶと、おこがましい気持ちにもなる。どこか合意が必要だと思っているのだろうし、自分だけが友達と思っていたら寂しく思うからだと思う。逆に、実際に仲良くしたくない人に友達呼ばれしていたときは、不快だった。そう思うから、なかなか友達はなかなかできないし、できる気もしない。

ある一人の言動が私をちょっぴり驚かせた。入社した会社には変な同期がいたのだ。

当たり障りのない話で、実のない話をして、時間だけが過ぎていった。 途中からその人(後の「変な同期」)と話し始めたが、相手が急にヒートアップして「友達になってよ」って言ってきた。 悪い気持ちはしないが、唐突だし、言われ慣れていないこともあって猜疑心を持って、そのときはいなした。そして、自分に絶望した。

「自分は友達になってよという人とですら友達にはなれないのか」と。

彼が羨ましかった。私が積み上げたしょうもないプライドを達磨落としのようにすかーんとぶっ壊していく、そして瓦解していく。きっと、そのときには彼とは友達になれなかったけど、気づいたら友達になってる日が来るだろうなと思うと、少し微笑ましい。

帰り道は、最寄り駅でビッグマック、ポテトLサイズで、しかも背徳的に飲み物はコーラをカロリーゼロじゃないやつを頼んでやった。

明日から友達を作るぞ、てね。